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北陸中日新聞「わがまちの偉人」にろあん先代の山崎信一が紹介されました!


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2020年2月6日の北陸中日新聞朝刊



 

北陸中日新聞の地域の功労者を紹介するコーナー「わがまちの偉人」で、一里野高原ホテルろあんの先々代で岩間温泉を開湯した「山崎信一」が紹介されました!

 

山崎信一はろあんが建つ白山一里野温泉の開祖とも言うべき人物です。

北陸中日新聞の『わがまちの偉人』は新聞ではなかなか取り上げられることのない既にお亡くなりなられて方を取り上げる珍しいコーナーです。

現存しないが、当時、大きな偉業を成し遂げ、地域に大きく貢献した人物を取り上げるコラムとして密かに人気なようです。

そんな偉大な人物の一人として先々代の山崎信一が取り上げられたのです。私達にとって、これほど嬉しいことはありません!

 

■コラムに取り上げられるきっかけ

このコラムに取り上げられるきっかけとなった本があります。

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『湯の道よ永久に 〜岩間温泉物語〜』

https://www.amazon.co.jp/湯の道よ-永久に-岩間温泉物語

(ご興味ある方はアマゾンでご購入頂けます。↑上記をクリックして下さい)

この書籍は、山崎信一の娘である先代の女将が亡くなる直前に執筆した著書です。

現在は一里野高原ホテルろあんや姉妹館の岩間温泉山崎旅館の客室にも置いてあるのですが、連泊のお客様などは「滞在中に一気に読んでしまった!すごい良かった!」とご感想を頂くこともしばしば。

こういったことがちょくちょくあり、私どもも大変嬉しく思っていたのですが、今回、更にびっくりすることがありました!

先だって、とある県内の学校の先生がこの記事を見たことがきっかけでアマゾンで本をご購入頂き、お読みになられた上で若手の先生に勧められ、その先生が地域学習の題材として、この山崎信一の温泉開発物語を教材にしようと思っていると、わざわざろあんまで足を運んでくれました!!!

本当にこんな嬉しいことはありません!

 

■湯の道よ永久に 内容紹介

せっかくですので、以下に少しだけ本の内容について記そうと思います。

山崎信一は、当時、白山の奥深くに埋もれていた岩間温泉の源泉を掘り起こし、ろあんの姉妹館である岩間温泉山崎旅館まで湯を引きました。

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当時の岩間温泉の湯谷。毎分1,000リットルを超える温泉が湧いていた。

当時は切り立った崖をいくつも越えて、やっと辿り着ける隠れ湯のような秘湯の温泉でした。

そんな人里離れた温泉を地域の糧にしようと一人で奮起し、当時勤めていた北陸電力の次席という立場を捨てて、裸一貫で白山の山肌に立ち向かったのでした。

気が狂ったと言われながらも、崖を越えなければ辿り着けない山奥深くにあった温泉を二千本の木管を使って、現在の岩間温泉まで引湯しました。

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二千本の木管を作って湯を通した地域の人々。右下が木管。

 

重機のなかった時代。ダイナマイトで崖を崩し、スコップやつるはしなど人力で道を切り開きました。6年かけて、現在の一里野から岩間温泉までの約5キロ、それも、険しい、まさに断崖絶壁山の山肌を切り開き、道をつけました!

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湯谷から湯が到着した。出資してくれた大和の社長と共に。右端が信一。

 

そして、今度は岩間温泉から現在の一里野温泉まで湯を引き、地域の皆さんと温泉街を作りあげるという地域活性化の一大事業を実現すべく、奔走しました。

しかし、夢半ば、59歳の若さで山崎信一は急逝してしまいます。

その後、地域の人達がその夢をつなぎ、先代らとともに石川県に働きかけ、一里野高原に温泉の引湯が実現!

更に、その地域の皆さんによって、次々と観光施設が建てられ、この地域に観光産業が確立されたのです。

当時、冬には雪に閉ざされ、陸の孤島とも呼ばれた一里野に、沢山の人々が押し寄せることになりました。

一里野高原

一里野公園から眺める温泉街と高原でのんびり過ごす人々。

 

■半世紀を経てのご縁

山崎信一が急逝して今年でちょうど半世紀。50年が経とうとしています。

五十回忌も終えたこの時にこのような声がかかったのは何かのご縁を感じます。

当時、山崎信一はあまりメディアに取り上げられることはなかったようです。これほどまでに苦労して、一大事業を打ち立てたのですが、当時はなかなかそういった情報は出回らなかったのでしょう。

岩間温泉の大女将やろあん先代の女将が大事に持っていたこの新聞記事が唯一のものだったようです。

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亡くなる一年前に初めて新聞に取り上げられた。

それが半世紀を経た今、こうやって取り上げられたことに感慨深いものを感じます。

先だってNHKの放送でも当時の写真が画面に映されて、山崎信一が紹介されるシーンがありました。

山崎信一がブラウン管に登場する初めてのことだったかと思います。

山崎信一が打ち立てた一大事業は本人が急逝した7年後に実現に至りました。その後、白山一里野温泉は発展の一路を辿り、山崎信一の描いた通りに立派な温泉リゾートとなり、受け入れできないほどの多くの方々が訪れるようになり、地域には若手も戻ってきて、移住者も増え、ひっそりとした村に賑わいと富が齎されました。

しかし、そんな輝かしい一時代を成したこの温泉地も、現在大きな曲がり角に差し掛かっています。

 

半世紀を経ての、今回の記事の掲載やテレビ取材、地域学習の教材というこの一連の話が一度に来たのは何か因果があるような気もしています。

 

■10キロを旅してきた恵みの湯

ろあんの浴槽に掛け流されているこの温泉は岩間の奥地から約10キロもの長い距離を流れて到着します。湯谷では97度ほどもある高音の温泉ゆえ、一里野に到着しても、50度以上あり、そのまま源泉かけ流しにすることで42度の快適な湯船を24時間、源泉かけ流しの状態で作り上げています。

水で薄めることもなく、浴槽で循環させることもなく、源泉かけ流しにこだわった温泉。ろあんでは森林浴露天風呂付き大浴場だけでなく、貸切露天風呂や貸切ヒノキ風呂、露天風呂付き客室の全てにおいて、源泉かけ流しにこだわっています。

先々代の築いてくれた湯の道のお陰で24時間、365日、常に毎分500リットルもの湯が白山の地中深くから、岩間の湯谷で湧き上がり、それが10キロの道のりを流れて、常にこの白山一里野温泉に恵みの熱をもたらしてくれています。

露天風呂 太田 縦トリミング-2

24時間源泉かけ流しのろあんの森林浴露天風呂

温泉に浸りながら、是非先人の熱い想いとその道程に巡りを馳せてみてはいかがでしょうか?

アマゾンの著書のページ → https://www.amazon.co.jp/湯の道よ-永久に-岩間温泉物語

 

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#源泉かけ流し #わがまちの偉人 #北陸中日新聞